Concert Etude op.2

制服系ちゅーば吹きbeardのブログ

作曲界の未来

今日、大学の作曲科作品発表会を観てきました。
7人の書いた7つの作品が初演されたわけですが、それについて色々思うことが。

院や4回生の作品は、いずれも少なからず現代的な語法を取り入れていて、3回生はロマン派的…というのはおそらくそういう指導法なんでしょう。

一番面白かったのはオンディーヌという作品。パーカッション群と六人の声楽の作品で、かなり現代的な作曲技法によって書かれていました。とにかく、なんというか、リアリティのある表現を持った曲で、途中寒気すら覚える瞬間がありました。

他はプーランク的な木管4+ピアノやロマン派的ヴァイオリンソナタ、ホラー映画のサントラのような1管編成のオーケストラなど、一生懸命書きました、的な曲が並んでいました。


さて、こっからが本題な訳ですが…

作曲家とはどういう職業でしょうか?

あなたが作曲家といわれて一番最初に浮かぶ人は誰でしょう?大概はベートーヴェンモーツァルトでしょうか。
彼らが作曲家と呼ばれるゆえんは何でしょう?
作品が世に残っているから?
そうかもしれませんね、確かに医科大学教授であったボロディンも作曲家と呼ばれていますから、いい作品を残せば作曲家なのかもしれません。
それならば、です。
作曲でメシ食えなくても作曲家である、ということになりますよね。
つまり、逆説的ですが、作曲でメシを食うことよりも、良質な作品を残すことの方が作曲家と呼ばれるために重要な要素であるということです。

日本ではいくら優れた曲が書けても、需要が無いことが殆どです。ましてや前衛的なスタイルの曲などほとんど演奏もされなければ委嘱も珍しい。
つまり、それでは食えない。

芸術に殉ずる覚悟で良質だが需要のない曲を書き、バイトやらで食いつなぐか。アニメやドラマのBGMを書いて食べるか。

さきほどの定義上では前者の方がより作曲家としてのイデアに近いわけですが…現実問題、その過酷な道を選ぶものがどれだけいるのか。

日本の作曲界は…果たしてどっちへ行くのやら。