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Concert Etude op.2

制服系ちゅーば吹きbeardのブログ

N響アワーをみて

昨日のN響アワーを見ていて改めて感じたのですが。

新古典主義」の定義って何なんでしょう。

ルネサンスからロマンまでの各時代様式には、時代ごとの語法の面で共通のものを感じられます。
新ヴィーン主義も、共通の語法がはっきりしています。

ですが、新古典って、定義があやふや過ぎて掴みづらいと思いませんか?

プロコの古典交響曲ストラヴィンスキーのプルチネルラが新古典というのは分かりやすい。
でも、兵士の物語も新古典に分類されている。昨日流れていたカルタ遊びもそう。
その辺にくると、ヒンデミットなどがたまに評される「即物主義」という作風や、バルトークなどと共通した語法を感じてしまったりします。
じゃあウォルトンのシンフォニーなんかはどうなるのでしょう?プーランクは?
わからん。

閑話。


すごく大雑把に音楽史を区分すると、
15〜16世紀はルネサンス
17世紀はバロック
18世紀は古典
19世紀はロマン
ということになります。
ルネサンスで限界まで複雑化した旋法的ポリフォニーは、調性という概念の獲得によってバロック時代に一旦簡略化し、メロディーと通奏低音という「主従のある音楽」が好まれ始めますが、同時に調性内でのポリフォニー(カノン、フーガなど)も発展し、大バッハの頃、そのどちらもが再び限界まで複雑化します。
そして古典期、ハイドンなどによって音楽は極端に単純化されます。
それは複雑さを極めるフーガに対するカウンター・カルチャーだったわけですが、そこから、ヴィーン古典派(ハイドンモーツァルトベートーヴェン)によってソナタ形式などを始めとする数々の楽式が生み出され、交響曲の本格化、弦楽四重奏の誕生やオーケストラの編成の拡大などなど、所謂「クラシック」の基礎が築かれていき、ベートーヴェンによってロマン派への扉が開かれます。
ロマン派の作曲技法はあくまで古典の遺産上に築かれた音楽語法ではありましたが、より「直感に訴え得る」方向に定向進化していき、20世紀を迎えるころ、その進化が限界に達するわけです。

つまり、
ポリフォニーの複雑化が〜17世紀末、
機能和声音楽の複雑化が18世紀初頭〜20世紀初頭
という2度の構築と崩壊に分けられます。

その後は、民族楽派(に根ざした前衛音楽も含めて)、印象派、自由な無調、12音技法、新古典、複調、トーン・クラスター、微分音、ミュージック・コンクレート、トータル・セリエリズム、即物主義、偶然性、ジャズからの影響、ダダイズムミニマリズム、新しい複雑性、などなど挙げればキリがないですが、これだけの語法が混在しています。
たった1世紀の間に!!

音楽を井戸に例えましょう。

古いポリフォニー井戸は清潔な水の出る井戸でしたが、水量が減ってきたのと、味が薄いので新しいホモフォニー井戸を掘りました。
良い水がたくさんでる井戸でしたが、こちらもだんだん水量が減ってきたのと、その甘美な味に飽きた人たちがいたので新しい井戸を沢山掘りました。

新しい井戸からはそれぞれ色の付いた刺激的な水が出たり、水だと思ったら酒が出たり、硫黄たっぷりの温泉が出たりしましたが、どれも一口で飽きてしまって、その井戸はほったらかしにしてしまいました。

という話。

20世紀は、多様性と駆け足の世紀であったように感じます。
まだまだ、利用できる井戸はあるのではないでしょうか。

今は、古いポリフォニー井戸とホモフォニー井戸の水を、新しい井戸の水と混ぜた音楽が流行ですね。

ま、どんな語法を使うかが問題ではなく、その書かれた音楽が聴衆にどれだけの反応を与えられるかが問題だと思います。ですが、そのために、まだ使える井戸は残っているんじゃない?と感じたのでした。