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Concert Etude op.2

制服系ちゅーば吹きbeardのブログ

音楽形式学のレポート

こんばんは。成人式もいかずにブリーズの集中練習に出席していたbeardです。

音楽形式学なる授業のレポートが完成したので、せっかくなので載せてみます。

ソナチネアルバム一巻の最初に載ってる曲です。
弾くことがあったら参考にしてください。

Friedrich Kuhlau Sonatine Op.20 No.1 第一楽章を題材に

・ アナリーゼ
1楽章
ハ長調。冒頭から8小節が第一主題であり、それぞれ4小節ごとにM1,M2とする。
9〜12小節は移行部前半、主題の確保であり、13〜16小節は移行部後半、推移となっている。ここで同主調に転じ、ドッペルドミナントを経てト長調の第二主題へ移る。

(9、10小節では、「8分休符→8分音符3つ」という、M1の2小節目に現れるリズム形(リズム形1とする)によるアウフタクトから、M1に現れるC−E−Gのテーマが低音で奏される。
同時に、高音でもリズム形1で開始される伴奏を持つが、これはG−C―Eであり、M1の後半のそれと等しい。つまり、M1全体を同時に確保しているのである。
11、12小節目は、9、10のゼクエンツであるが、このH−D−Gの動きはM2前半、H−D(−F−E−)Gの省略ともとることができる。
13、14小節の低音は9、10をハ短調に移旋したもので、高音部の伴奏リズムは三連符に変更されている。続く15、16は同様に11、12に対応するが、ここでのFis−A−Dはト長調でのシ―レ―ソであり、第二主題を導いている。)

第二主題はト長調で、17〜23の第一部、24〜30一拍目の第二部、30、31の移行部に分けられる。30、31で再びハ長調に転調し、32小節目から展開部に入る。

(第一主題と同じく、アルベルティ・バスに乗って提示される第二主題第一部だが、18小節4拍目からD−(C)−H−(A)−Gis−A−C−Eという動きが現れる。これをハ長調に移調するとG−E−Cis−D−Aとなり、M2後半、6小節三拍目からと大部分一致する。フレーズの最後を似せることで統一感が生まれている。
21はG−H−Dで始まり、これは勿論M1である。その後、H−A−G−Fis−Dis−Eと続くが、これは17小節からの旋律をなぞらえたものと解釈できる。
そして、同時に21と22を繋ぐFis−Dis−E―Aは、それぞれ短三度―短二度―完全4度の音程であり、これは4〜7小節目のバスの音程関係に等しい。次の小節でもゼクエンツで繰り返され、第二部へ移る。
第二部はGから10度上のHまでを繋いでいる技巧的な音階で始まるが、10とはM1の音域に全く等しく、25小節のCis−D−E−D−C−H−A−GはM2の後半である7、8小節目を移調せず音階的に平滑化したものとみなせるため、実質これは第一主題の内容を持っていると言える。
リズム形1をはさんで繰り返した後の28からの動きは、折り返す音を拾うとG−H−D−Gとなるが、これをハ長調に移調すればM1と一致する。
31小節も、折り返した時の音程は増一度―短三度で、これは短三度―短二度のアナグラムといえる。)

展開部は二つの部分に分かれる。それぞれ32〜38の第一部分と(39、40は推移部)41〜49の第二部分である。第一部分はハ長調、第二部分はト長調ハ短調が頻繁に交替し、再びハ長調に戻る。そして、そのまま流れるように再現部へと移る。

(第一部分冒頭のC−H−H―DはM1とM2の繋ぎ(4、5小節目)と完全に一致する。ゼクエンツとして一度繰り返すが、三回目はG−F−Eと順次下降に変わる。これは6小節のE−Gの逆行を音階で埋めた形である。36小節アウフタクトからは、リズム形1も姿を見せ、32〜35を反復する。38小節アウフタクトからはまた変奏されてC(×3)−E−D―Cis―Dとなるが、これは6小節目バスのCと7小節目1拍までのソプラノをつないでC−E−Cis−Dに音階を繋いだものである。
39でハ長調�○で偽終止し、40小節はト長調の�46○→�7○、そして41で�で調を確定する。39からの右手はリズム形1が延長されたものである。
41からは第二主題第二部の展開で、ト長調ハ短調が三、四拍目のリズム形1を境に4回交替を続ける。45からストレッタ的に音階を繰り返すが46〜49の重心となる音はH−D−Fであり、これはM2の冒頭3つの音と等しい。
また、46からドミナント・ペダルが行なわれ、再現への期待を高める。)
50小節からは再現部で、第一主題は提示部と完全に同一のもの。
64、65小節は15、16小節とは違いドッペル・ドミナントではなく通常の�の56になり、第二主題は主調であるハ長調で再現される。
第二主題第二部の後、ごくごく短い二小節のコーダで終。

・ 考察
この曲は、ピアノの初期学習者が必ず弾く曲の一つであり、ソナチネ・アルバム冒頭に乗っていることから学習者への知名度は非常に高い。
だが、それは同時に弊害でもあり、「ソナチネとは学習のためだけの曲で内容が無い」
という誤解を生む原因ともなっている。
そこで、この曲をアナリーゼすることで、より深い理解を得、きちんとした形式にのっとって書かれていることの弁証としてこの曲を選んだ。

時間の都合上、全楽章は詳しくアナリーゼできなかったが、二楽章の冒頭はへ長調のド―ミ―ソ―ソ―ソ―ソ―ド―ミで始まり、ファ―レ―シで受ける等、一楽章第一主題と密接な関係にあるし、三楽章のテーマも、重心の音列はG−E−C、F−D−Hで開始される。もちろん、M1、M2冒頭の逆行である。
他の楽章も、主題の関連性をはっきり持っているということである。
綿密に組み上げられた曲であることがわかると思う。

・ まとめ
このように、重箱の隅をつつくようなアナリーゼをして、何の得があるのか?
そのような疑問の声は、必ずあると思う。
だが、我々が読もうとしているのは何百年も前の、外国の人間が書いた曲であるということを考えて欲しい。
同時期に書かれた日本の文献ですらまともに解読するのは骨が折れるのに、ましてや全く違う文化に育った人間が書いた、暗号のようなモヨウを、何の誤解もなく読み取ることができるだろうか?
私は、Noであると思う。
だからこそ、このように隅々まで調べつくし、1小節ずつを愛でることで、すこしでも作曲家の思い描いた音楽に近づく努力をすべきであると思うのである。

ただ「ソナタ形式ハ長調」などというくくりで纏めてしまうだけでは意味が薄い。
無いとまでは思わないが、たくさんのオタマジャクシを前に、それだけしか見ないのではなく、一つ一つ、何故この音はこう書かねばならなかったかを考える。
それが、私がこの授業を一年間受けて学んだ姿勢であり、音楽形式学というもののあり方だと信じている。