Concert Etude op.2

制服系ちゅーば吹きbeardのブログ

美学のレポート。

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プラトン著「パイドン」を読み、『魂そのもの』とは何かを述べよ>

<前提>
『〜そのもの』という言葉は、「ある物の本質」と言い換えてもいいかもしれない。
つまり、抽象的な「概念」そのものである。

例えば、本が本と呼ばれるためにはどういう条件が必要だろうか。
・ 文字の書いてある紙であり
・ 束ねられており
・ 書かれている文字に意味があり
・ 束ねた紙同士に意味的連続性がある
といった条件をクリアしていれば「本」と呼ばれても差し支えないであろう。
ということは、これらの条件は『本そのもの』から分け与えられた必要条件なのである。
だが十分条件ではないがゆえに、絶対に『本そのもの』たりえない。

その解釈で『〜そのもの』という言葉を定義し、『魂そのもの』について述べようと思う。

<魂そのものとは>
まず、「パイドン」によれば魂とはどうやら人間の精神の中でも、本能を除いた「理性」の部分を指しているようである。
本文中でソクラテスは「愛欲、欲望、恐怖、あらゆる種類の妄想、数々のたわ言でわれわれを充たし、そのために、諺にも言われているように、我々は肉体のために何かを真実にまた本当に考えることがけっしてできないのである。」と言っている。
三大欲求に代表されるような「本能」の部分は「肉体」によって引き起こされるものであり、魂にとって害を与えるものだとしているのである。

また、肉体は滅びるが魂は不滅であるとも述べられている。
その証明がこの書の主題であるから当然なのだが、ケベスやシミアスを問い手として様々な角度から不滅を証明している。
さらに、肉体に生をあたえるものであり、死が近づけば、魂は不死なるものであるがゆえに死とは交わらず肉体を残して去るという。
ではどこへ去るのか。
それはより純粋な、非合成的なもの、イデア的なものの世界、神々の世界だという。
本文では「純粋で、永遠で、不死で、同じようにあるものの方へと、赴くのである」
と表現されている。
そして、その世界を経験していることの証明として、イデア的なものを見たことのないはずの人間がそれを連想することが出来るのは、魂の世界を想起するからだとしている。
その魂の世界と肉体の世界とは何度も循環を繰り返しており、その世界同士の移動が「死ぬ」「生き返る」ということであるという。
そして、哲学とはその魂の世界に生きながらにして近づくことだという。
「肉体を最高度に侮蔑し、肉体から逃亡し、まったく自分自身だけに成ろうと努力する」ことが、ひいては「死ぬことの練習」だというのである。

以上が「パイドン」で述べられた魂の性質の概要だが、「輪廻」というものに似た思想といえるかもしれない。
細かな違いはあれど、魂であるとか霊魂が何度も繰り返し生を体験しこの世の業を死後も引きずるという思想はかなり共通したものを感じる。

死が純粋な思考的世界への入り口だという考えは魂を考察する上で非常に重要なものであろう。つまり、思考そのものが魂であることを端的に表しているからである。
魂が肉体から開放されることで、肉体のもたらす悪影響がなくなるという発想は、すなわち生きている間も己の中の欲求を抑えることでより高度な精神性を得られるということでもある。
それを魂そのものにより近づく、と表現しているのであるから、結局のところここで言われる魂とは人の純粋に思弁的な部分の精神であり、『魂そのもの』とはその人の思弁的精神がもつ普遍的概念のことなのであろう。すなわち、聡明さや勇気などあらゆる良い精神を持ち合わせた魂のみの存在の偶像と言える。

<異なる視点>
一歩離れた視点で見ればこの書は哲学を持って肉体を律し、より精神を磨けという訓示と取ることができそうである。
この「パイドン」は他にも訓示と読めそうな箇所が多々ある。
生前罪を犯した魂が死後罰を背負うという、いわゆる因果説もそうである。
生きている間では罰を全うできぬという恐れは、罪を犯すまいとすることにつながるからだ。

だが同時に、私などには死を前にして己が死を恐れる余り魂の不滅を証明しようとする滑稽な姿を描いたアイロニーのようにも感じられてしまう。プラトンの他の著作ではソクラテスはエロスや酒を好む人物として描かれているものもあると聞く。
恐らくはただ斜めに読みすぎているだけなのであろうが、その印象は拭えないのである。
他の書も読んでみないことには判断は難しいだろう。

<まとめ>
魂という言葉は決して耳慣れない言葉ではない。
だがその魂とはいかなる定義で使われているのかは非常に難しい問題である。

この「パイドン」において言えば
『魂』とは人の純粋に思弁的な部分の精神である。
『魂そのもの』とは聡明さや勇気などあらゆる良い精神を持ち合わせた魂のみの存在の偶像である。
これが私なりの結論である。


レポートのくせしてスゲー偉そうなのは仕様です。
2000字って意外と短いですね。
屋久島日記は9800字だそうです。。