Concert Etude op.2

制服系ちゅーば吹きbeardのブログ

屋久島旅行記(完結)

屋久島への旅路を写真つきで振り返りたいと思う。


ー序ー
屋久島へは以前から行きたいと思っていた。

僕は小さい頃生き物が大好きな少年だった。夏になると蝉を追いかけ、田んぼに飛び込んではカエルを捕まえ、学校のドブでザリガニを漁った。愛読書は図鑑だった。

年をとるごとにそういう無茶はしなくなったし、動物への関心も薄れたが、もっと静なるもの…植物の方は、関心が高まっていった。

特に苔むした大木が好きだ。悠久の時を感じさせる。

そんな奴であるから、屋久島に興味を持つのは当然と言えば当然である。先輩を誘って屋久島に行く計画を立てた。

いざ、計画が持ち上がったら問題もあった。

屋久島には九州最高峰が3つもある。いずれも2000m近い険しい山だ。そんな山にド素人が挑んで大丈夫なのか。

しかし、同行者のN先輩の父上が元・登山部なこともあり、アドバイスをいただいたりして、何とか実行に移せることになったのである。


ー1日目ー
Oqlau0hs 出発は午前4時40分。阪急夙川駅である。誰もいない始発前の駅で、N先輩と二人、ハイテンションで会話した。そこから神戸駅でJRに乗り換え、青春18切符の一日目にハンコが押された。
さらに、姫路→岡山→徳山と電車に揺られること約7時間。
山口県は徳山で昼食として焼きカレーを食べる。なかなかうまかった。
その後さらに下関から本州を出て門司へ。関門トンネルは通ってみるとあっという間で、海はまったく見えぬままに九州に上陸してしまった。

そこから大牟田で乗り継ぎ、熊本へ向かう。

熊本に着いたのは20時を過ぎていた。正味、15時間以上電車に揺られていたことになる。この日は熊本で一夜を明かすことにした。
繁華街でラーメンを食べ、ネットカフェに入る。
1800円でドリンク飲み放題、シャワーも浴びられて朝まで横になれるようだ。これは安い。

漫画を沢山読みつつ、その夜は更けていった。
シグルイが面白かった。


ー2日目ー3vgsvrxp
この日は朝7時に起床。駅前のモスバーガーで朝食を取り、また電車に乗り込んだ。まず八代に向かうが、ここで初めて乗り継ぎが上手くいかなくなった。八代から人吉へ向かう電車が2時間待ちであったのである。
仕方がないのでバスで銭湯へ。疲れを癒す。だが少し長居しすぎ帰りのバスに乗り遅れてしまった。あわててタクシーに乗って駅に向かった。電車には無事間に合うことが出来た。

人吉駅に着いてもまた一時間待ち。少し早いが昼食を取ることに。と言っても駅前にはロクな食事処がないので、弁当屋で調達し、駅の待合室で食べる。
また、ここからは「くまがわ鉄道」という私鉄が出ているのだが、そこにおかどめ幸福駅という駅があるらしい。その駅への切符を「幸福への切符」として売っていたので姉への土産として購入した。実際に使えるのがミソである。

人吉から吉松へ。ここはスイッチバックなどがある山道のため、観光列車が走っているのだが、見事にそれに当たってしまった。指定席を買っていない僕らはフリースペースの床に体育座りをして居眠りをした。

吉松→隼人→鹿児島中央→坂之上と乗り継ぎは比較的スムーズに行くことができた。そこからタクシーで谷山港へ。
18時、フェリー「はいびすかす」に乗船。
少しだけN先輩とトランプをし、鹿児島で買っておいたパンを食べ、就寝。途中、種子島で降りる事も出来たらしいが僕は熟睡していて気づきすらしなかった。
夜中、少し起きた時に甲板から空を見上げると、星がとても綺麗なのが印象的だった。


ー3日目ー
Q6cdidkm 屋久島、宮之浦港には午前7時に着いた。

その前から泣き出しそうな空だったが、港に降り、建物に入ったとたん土砂降りの雨である。運がいいのか悪いのか。

バスを待ち、宮之浦へ。

当初、この時間帯に僕らは山にいる間の食料を調達する予定であった。
しかし、その予定は宮之浦に着くとあっという間に崩れ去る。

店が、開いていないのであった。
コンビニを探してようやく入るも、弁当すらない。仕方がないのでウイダーインゼリーを朝食代わりに購入して、スーパーマーケットに向かったがやはり開いていない。
諦めた僕らは先に紀元杉行きのバスが通る安房の町へバスで向かうことにした。Y67zzwun 安房の町は屋久島において宮之浦に次いで賑わいのある町である。もっとも、あくまで屋久島で、なのだが。

雨は止んでいた。まず観光協会に向かい、登山計画書を提出することにした。これを出していかないと、いざ遭難したとしても助けを呼んでもらえない。
淀川登山口から山に入り、淀川小屋で一泊、次の日に宮之浦岳を越えて新高塚小屋で一泊し、次の日縄文杉を通り、白谷雲水峡へ降りる縦走コースで提出する。
そこで近くのスーパーマーケットの場所を聞き、徒歩で食料調達へ。パンや缶詰、飴などを買い込む。

帰ろうと思うとまた大雨。仕方ないのでまだ10時だが昼を食べることにする。スーパーマーケットにあった食事処が10時開店なので、開くのを少し待って入る。
N先輩の頼んだカレーうどんは、皿うどんにカレールーをぶっ掛けるという珍しいものだった。この地方ではこうやって食べるのかと聞いたら、この店だけだそうである。
とてもおいしそうだった。僕の頼んだうどんも、地元の某Tという店よりうまかった。

その後小降りになったときを見計らい観光協会に戻った後、おばさんと雑談をしたり、屋久島の写真集を眺めたりしてバスを待つ。
おばさんの話では、スーツにパンプスで「縄文杉ってのをみたいんですけどぉ」であるとか、「車で山頂まで行きたいんだけど」といった愚か極まりない問い合わせが結構多くて困っていると言う。
いくらなんでも山をナメすぎである。


バスで紀元杉まで上る。芭蕉やシダの茂ったバス道はそれだけでそこそこ見ごたえがある。
しばらくは舗装道路をのぼり、淀川登山口へ。
ここからは電気も水道もガスもない完全な「山」である。

Kyundkrg この日は淀川小屋までたった一時間余りであったので体力的にはそんなに辛いものではなかった。

とにかく森が美しい。まるで太古の森に迷い込んだような景色に圧倒される。
淀川小屋に着くと、まず自分達のスペースを確保し、あとはゆっくりして過ごす。夕食は17時ごろに食べた。

その日小屋に泊まっていたのは6グループ16人くらいだったと記憶している。そのうちの京大生の3人グループと、さすらいのニューメキシカン、ザックと仲良くなった。
ザックは日本語はそんなに沢山単語を知らないらしく、会話は主に英語だった。
彼は、イタリアに始まり、パキスタン、インド、中国と来て上海からフェリーで大阪に来航、京都や友達がいると言う富山を訪れ、また白馬の山などに登った後屋久島に来たそうだ。なんともワールドワイドな旅である。

夜は湿気と雲で思いの外星は見えなかったが、とにかく静かだった。10m以上はなれた湧き水の川が流れる音以外、虫の鳴き声すら聞こえない静寂の世界である。

僕は一人闇の中に立ち、武満徹著作に思いを馳せていた。

音楽は沈黙に劣るのかもしれない、と思った。


ー4日目ー
Sz16iguw この日はまさに旅の山場である。一日かけて宮之浦岳を越えて新高塚小屋へ向かうことになる。
朝は6時に起床し、7時には小屋を出た。天気は悪くなかったが、昨日までの道のりよりも確実に道が険しくなっていく。
途中、花之江河(はなのえごう)という美しい湿地帯を通る。まるでこの世の景色ではないようですらあった。

その後ひたすらきつい山道を登る。ロープを使わないと登り降り出来ないような場所も沢山あり、バックパックの重さと合わさって体力が奪われる。
Bf4pdgvu しばらくすると投石平(なげいしだいら)に出る。この時、空はよく晴れていて、素晴らしい眺めを満喫できた。しばらく景色に見とれていると、永田岳の頂上から叫び声が聞こえてくる。いわゆる「ヤッホー」という奴である。

こちらに手を振っているようだったので振り返すと「ファイトー!!」という叫びが聞こえた。そこで「一発!!」と叫び返してみると、「ありがとうー!」と返ってきた。
妙なコミュニケーションがあったものである。

しばらく休憩した後宮之浦岳を目指すが、このあたりで僕の体力が限界を迎え始める。歩き始めてすでに4時間ほど。
N先輩に迷惑をかけているとは知りながら何度も休憩をお願いする。中高年のグループにもどんどん抜かされる始末であった。

やっとの思いで山頂に着く。1935m。僕はもう倒れる寸前である。軽食を取った後、僕は岩にもたれかかって放心した。その頃には霧が濃くなっており、景色は何も見えなった。

しばらく休憩した後、新高塚へ向けて出発する。
このころ霧はすでに雨に変わっていた。ポンチョを着ていざ出発である。
宮之浦岳の反対側は先ほどとは違い土の層がより浅い。
花崗岩が剥き出しになっている場所も沢山あり、さながら崖のようであった。
またササの群生も沢山あり、道が非常に狭くて苦労する。

雨は酷くなる。道は険しい。体力は減衰していく。
もはや先輩との会話すらまるでなく、二人してひたすら小屋を目指した。

途中あまりに雨が酷くなったので岩屋で休憩をとった。
2000m近い標高ゆえ、気温はそうとう低く、体温が奪われる。飴を舐め、体に熱量を蓄えるようにする。

しばらくして、少し弱まったのを見計らい再度出発。
その地点からまだ2時間強の行程があったにも関わらず、ノンストップで黙々と歩いた。シャッターを切る余裕などどこにもなかったので、素晴らしいポイントを何箇所も見逃したのは残念である。とにかく小屋に着きたい一心で歩き続け、どうにか到着。

小屋の外で濡れたものを脱ぎ、すぐに場所取り。
そして、先輩と二人すぐに寝袋に入り2時間ほど熟睡した。

僕が起きた後も先輩は体調が優れないようで、ずっと休んでいたが、僕はなんとか他の登山グループと話す余裕が出来た。
Xuxul0vm この日は結局先輩は夕食を取らず、僕一人で食べることになった。
缶詰を食パンにひっくり返して食べる。腹の減ってい
る時は何でも旨いものだ。

その後現れた鹿を撮影したり、他のグループと交流したりして時間をすごした。なんと例の「ファイトー!」と叫んだグループも一緒の小屋だった。面白い縁である。

この日も夜は雨は降っていなくともあまり星は見えなかった。少し残念であった。


ー5日目ー
次の朝、思ったより体力は回復していた。
先輩も昨日ずっと休んでいたおかげで回復していた様子であった。
前日と同じく、朝6時に起きて朝食を取り、7時には出発。

今日は、新高塚小屋→高塚小屋→縄文杉→大王杉→ウィルソン株→トロッコ道→白谷雲水峡という道順になる。

新高塚をでてしばらく行くと、樹木のサイズが確実に大きくなっていくのがわかる。やはり縄文杉周辺は大木の森なのである。

高塚小屋には割とすぐに着いた。ほんの少し休憩し、また歩き出す。
このあたりは道が丸太などでよく舗装されている。やはり人気コースゆえか。

歩けば歩くほど名もない大木が目の前に立ちはだかる。こんなに大きいのに無名なのか、縄文杉ってどんだけでかいんだ、などと考えているとまるで双子のように立つ大きな杉がある。これも無名だ。そこを越えるとすぐに、もっとも有名な杉の前に出られる。

Lvi8melq その大きさは驚異的である。他の大木ですらかわいく感じる。
悠久の時を感じさせる、「雄大」という言葉がチンケに感じるほどの雄大さ、神々しさ。
それが、目の前にある縄文杉であった。

樹齢推定7200年。それが本当だとすると、とんでもない時間である。この7200という数字に関しては諸説紛々で、今は「3000年以上」とする文献が多いようではあるが、どちらにしろキリストよりも年上であるのは間違いあるまい。

人がまだただの道具を使える動物であったころから、この場所でずっと静かに時を食んで生きていたのだろう。
自分達の一生など…まるでカゲロウのようなものだ。

ここに確かに神はいた。
世界を作るとか、人を導くだとか、そんなことはせずただ山を守っている、木の神様が。

感慨にひとしきりふけった後、縄文杉の前で小屋が一緒だった方々と談笑をした。なぜかスラムダンクの話で盛り上がった。
しばらくした後、山を下り始める。

道は丸太組みの歩道などが目立つようになり、とても歩きやすくなる。ところどころに岩場があるが、宮之浦岳を制覇した人間にとってはかわいいものである。

このあたりは名前のついた木が多い。枝がつながった「夫婦杉」、Ss69_d61 縄文杉






の次に大きい「大王杉」など。
特に夫婦杉は夫婦円満の象徴としておまいりに来る方もいるという。

このあたりから登りの登山客がどんどん増えてくる。
やはり人気コースなのだ。

ウィルソン株に着いた時などはもう人、人、人である。
おかげで写真を撮るのにも一苦労である。
Zfz62j6o_sウィルソン株はなかなか見ごたえのあるサイズである。中は空洞になっており、湧き水と小さなほこらがある。これももし切り株でなければどのような大木であったか。想像を絶する。
ここで日帰り登山客が少し途絶えるのを見計らってまた下りはじめる。
しばらくするとトロッコ道に出る。出たところには橋があり、美しい川が流れている。
非常に風情のある道である。

ここからはトロッコ道の上を歩いていくことになる。
さらに歩きやすくなり、すいすい進む。
先輩と大声で歌を歌いながらどんどん歩いていった。

途中、三代杉という、倒木の上に木が生え、さらにそれが倒れた後またその上に木が生えたという木があり、そこで休憩をとった。

その後、白谷雲水峡と荒川登山口への分かれ道で小屋で一緒だった方とたまたま合流し、そこで昼食を取り雲水峡へと向かった。

ここからまた山道になる。今までのペースになれていた僕は、少し調子に乗りすぎ辻峠でばててしまった。
太鼓岩は僕を置いて他の方々で行くことに。僕は荷物番である。

太鼓岩の眺めは素晴らしいらしい。残念ではあるが無理は禁物である。

皆が戻ってきた後、小屋の方々とは再び別れて先に行く。
峠を越えた後はもうそんな険しい道はない。またさくさく進むことが出来た。

Rxxzr1bn 白谷雲水峡は、もののけ姫に出てくるシシ神の森がここを参考にしているという宣伝をしてから飛躍的に人気の出た場所で、途中もっともコケが美しいポイントには「もののけ姫の森」という看板すら立っている。
だが、僕のようなコケ好き人間ならばともかく、一般の方は多少しんどい思いをしてでも縄文杉まで登ることをオススメする。幻想的な空気はピカイチだがスケールの大きさでは縄文杉の比ではない。しかし無論僕は嬉々として苔むした岩を眺めたのであったが。

もののけ姫の森を過ぎると、道は本格的に散歩コース化してくる。まるで植物園のような雰囲気である。

しばらく歩くともう道がコンクリートと石で舗装され始め、この縦走もようやく終わりを告げるのかという感慨が襲ってくる。

憩いの大岩を越えれば、もうそこは車道である。

N先輩と二人、大声で縦走完了を叫ぶ。
日帰り客はやや不審そうにこちらを見ていたが、そんなことはこの際気にはならない。

辛かったが、楽しかった。長かったが、短かった。
この縦走は、本当にいい経験だった。

バスがもうすぐ来ると聞きバス停まで歩くと、後ろから辻峠で別れたグループが走ってきた。このバスを逃すと次は80分後であるので、あわてて走ってきたそうだ。

握手をし、お互いの縦走完了を称え合った。

バスに乗り、宮之浦へ。ここで皆さんに別れを告げバスを降り、民宿を探す。
屋久島の宿泊は値段がまさにピンキリである。
安さで探せば1800円という値で屋根の下で眠れる。
だが、空きのあるところはなかなか値が張るところが多いようで、その日の宿を見つけるのにしばらくかかった。

結局5000円台で妥協し、「民宿かわかみ」さんへお邪魔することにした。決め手は、学生だということで割り引いてくださったこと、もう16時を過ぎているのに今からでも夕食を出してくださると言うことであった。

さて、屋久島は湿気が凄いので小屋などで衣服を干したところで乾きはしない。であるから、正直なところもう僕は着替えが尽きていた。
仕方ないので先輩が風呂に入っている間僕は一人散歩がてら買い物へ。

あちらこちらのんびり歩いて、結局Aコープというスーパーマーケットの特売品でノースリーブのシャツとハーフパンツ各500円を買った。

民宿に帰り、風呂に入る。本当に気持ちが良かった。

部屋でくつろいだあと、18時に夕食。
民宿のおばさまの料理はとてもおいしかった。
出していただいた魚はトビウオ。屋久島の名物らしく、この塩焼きがすごく旨い。
しかも、地元の方が近くで釣ったという石鯛をおばさまがすぐに刺身にしてくださった。本当に身が引き締まっていて素晴らしく旨かった。

おばさまと大学の話でひとしきり話した後部屋にもどる。

先輩とくだらない話をしながら就寝。
幸せいっぱいであった。


ー6日目ー
この日は朝のはいびすかすに乗らなくてはならないので早めに起床。民宿の朝食を頂く。
荷物を片付け出発しようとすると、おばさまが宮之浦港まで送ってくださるという。ありがたくお言葉に甘えさせていただいた。
本当に親切にしてくださった民宿かわかみさんに感謝である。

その後はいびすかすに乗船。8時20分に宮之浦港を出た後14時40分に鹿児島の谷山港に着く。

谷山港からタクシーを捜し坂之上へ。比較的すぐ電車が来て、鹿児島中央に向かった。

ここでN先輩とはお別れである。先輩は友人を訪ねに新幹線で熊本まで向かうと言う。

先輩と分かれた後、遅い昼食をとることにした。
隼人への電車待ちの間、せっかく鹿児島にいるのだから豚を食べようと思い立ち、黒豚かつ丼980円也を食べた。肉が非常にジューシーでボリュームがあり、旨かった。
ここからは話し相手がいないので、本屋で乙一の短編集「Zoo」を買った。

鹿児島中央から隼人、そして吉松へ。
ここで大問題が発生した。
この時点で18時20分ほどだったのだが、人吉行きの終電は18時13分だったのだというのである。

始発は6時18分。約12時間待たねばならない計算である。なんと、6時から18時の間3時間に一本、一日たった五本しか電車がないのである。
さすがにこれはカルチャーショックであった。

しかも駅の外は銭湯以外目立つ店もほとんどないような場所。困った。予定では今日は熊本のネットカフェで寝るはずだったのだが…。

待合室で、はいびすかすで一緒だった方を発見し、声をかけてみると、同じ状況であると言う。

Vu0exzk2 とりあえず二人して銭湯に入り、その後コンビニを探し夕食と明日の朝食を調達する。ちなみにこのコンビニ、屋久島にあったのと同じアイ・ショップ系列であった。閉店時間は22時である。

駅の待合室で夕食をとった後、待合室で寝かせてもらえないか駅員さんに聞くが敢え無く却下。恐らく僕らのような旅行客は多いのだろう、慣れた様子であった。

仕方がないので、駅前の広場のベンチでシュラフを出して野宿することに。ここはSL広場と言う名前になっており、昔使われていたと思しきSLが鎮座していた。その隣で僕たちは眠ることした。


ー7日目ー
始発に乗り、人吉へ。その後行きと逆をたどり八代→熊本→大牟田。ここで1時間の時間待ちの後門司へ。

ここでさらに1時間半の待ちだったので食事を取るため駅前の中華へ。時間は14時。
ラーメンを食べた。胡椒の非常に効いた鶏ガラスープで、トッピングのキュウリが新鮮だった。変わった味だったがなかなか悪くない。

鹿児島で買った本は読み終えてしまっていたので、その後本屋で「Zoo2」を買って駅へ。

ようやく本州に戻ってきた。

吉松から一緒だった方は山口の出身らしく、途中で別れた。

さて、そろそろ今日の宿を決めねばならないが、広島には以前から行きたいと思っていたCDショップがあるし、時間的にもちょうどいい。無理をすれば岡山まで帰れないこともないが、万が一のことを考えて広島で一泊することにした。

広島に着いたのは19時。もう門司で買った本も読み終わった頃であった。

CDショップ「ノルディックサウンド広島」がある銀山町(かなやまちょう)付近まで路面電車で行き、店を探す。少々分かりにくい場所にあるので戸惑った。ウエセン幟町(のぼりまち)というビルはあまり有名ではないらしい。
やっと店を見つけたらこの日は定休日だった。ショックである。
明日の開店時間は11時。しかたあるまい、ここまできたら意地である。明日11時まで待って訪れよう。

そのあと胡町(えびすちょう)へ。いわゆる繁華街である。
ここへ来たことを少し後悔する。

なぜならば、通行人のなかに明らかにその道の方々がいるからである。

広島の高校生は元気に歩いているが、平気なのだろうか?
僕は正直こわかったのだが…。

その後徳川というお好み焼き屋で夕食をとり、同じビル内のネットカフェへ。時間は20時。
ナイトパックは22時からのサービスらしいので時間をつぶしにもう一度町に出るが、先ほども書いたようにその道の人が沢山いる上にタワーレコードもすでに閉まっている。
あちらこちら探し、衣料品店でカッターを買い、本屋で北村薫の「夜の蝉」を買う。だが21時にはその本屋も閉まってしまい、行くあてがなくなってしまった。

仕方がないのでマクドナルドへ。ポテトLと水だけで1時間を粘った。

ようやく22時。ネットカフェへ行き、シャワーを浴び漫画を読みつつ就寝。妙に疲れた一日であった。


ー8日目ー
ナイトパックの利用は8時間のみなので朝は6時起床であった。

また、時間待ちである。お目当ての店があくまであと5時間。これは辛い。

とりあえず松屋でチキンカレーを食べる。食券を出してからバックパックを下ろすまでの間にカレーが出てきたのが驚きであった。もうちょっと待たせた方が旨く感じると思うのだが。

あまり思ったほど長居も出来ず、仕方がないので立派だと言う教会へ訪れることに。
なぜか成り行きでミサにまで出席してしまった。
洗礼は受けていないので色々と神父さんも困っていたようだがまあただの旅行客の知ったことではない。
すべて日本語訳でミサを行っていた。「おお、主よ哀れみたまえ、おお、キリストよ哀れみたまえ」のところでは頭の中に様々なミサ曲やレクイエムのキリエが流れた。
実際には音楽はなしだったのだが…あればもう少し楽しめたかもしれない。
だが興味深いものではあった。何事も経験である。

ミサの後、川沿いの公園で北村薫を読む。とにかく9時までは時間をつぶさなくてはろくに店も開いていない。

その後本屋、タワーレコードと店が開く順に回っていき、ようやく11時。ノルディックサウンド広島を訪れた。

本当にただのマンションの一室でやっているCDショップであった。だがCDの量は決して少なくない。全てマイナーレーベルであることを考えれば凄まじい量である。
北欧音楽は良く知らないことなどを説明して、オススメを教えてもらう。
チューバ吹きだというと、それだけでミハエル・リンドなどのCDが4,5枚視聴版として出してもらえたり、ブラームスが好きだと言うとステーンハンマルはどうか、とかベルワルドがいいかも、などとCDを出してきていただき、近代音楽も好きだと言うとトゥビンがいいかななどと気がついたら目の前には15枚ほどの視聴版。
全てのCDのツカミを聞き終わったころにはとうに12時半を過ぎていた。

散々迷った挙句、ベルワルドのシンフォニー3,4番とアッテルベリのシンフォニー3番「ウェスト・コースト・ピクチャーズ」のCDを買うことにした。

本当に凄い店である。いつかまた訪れてみたいものだ。

その後広島駅へ徒歩で向かい、パン屋で昼食を調達して岡山行きの電車に乗った。

もうここまでくれば後は楽なものである。
岡山から米原行きの乗り込み、JR西ノ宮には18時半ほどに帰ってこれた。
あとは徒歩で帰宅するだけである。

どっと疲れと感慨が襲ってくる。
この旅も、ようやくの終わりを告げたのであった。


ーあとがきー
旅はいい。

僕は日本人であるが、いかに狭い日本しか知らなかったかが良く分かった。本当に、人生観が少し変えられる位のものを体験したと思う。

旅は若いうちにせよというが、これは本当だと思う。このような無茶な旅は学生の間ぐらいしか出来まい。

是非、皆さんも思い立ったらどこか遠くへ行ってみて欲しい。それも、都会でなく、もっと美しいものを観に。
あなたのまだ観ぬ日本がきっとある。