In Memoriam Maestro K.S.
beardです。お久しぶりです。生きています。
実は、自分にとってとても大きなニュースがあったのですが、諸般の事情によりまだここに書くのは差し控えます。速く言いたくてしょうがないんですが(笑)
で、今回の記事は、それとはまったく関係がなく。
最近ハマっている指揮者がいるという話。
それは、先日逝去された、クルト・ザンデルリンク。
クラシックオタクには逆によくわからないのですが、知名度的には、それほど高くない部類に入る指揮者なのでしょうか?
たぶん、マズアとか、スウィトナーとか、そのくらいの知名度ですよね(笑)
ざっくり紹介すると、ドイツ(正確にはプロイセンの現在はポーランド領の地域)生まれ、ユダヤ人だったためナチスから逃れロシア(ソヴィエト)に亡命、ムラヴィンスキー(!)に師事し、ショスタコーヴィチと親交を温め(!)戦後は東ドイツでベルリン響の音楽監督として活躍…という、ちょっと変わった経歴の持ち主です。
ステレオタイプな評としては、レパートリーとしてはロシアもの、ドイツものが中心で、重厚で堅実な演奏が持ち味…というものです。
確かに、彼の演奏はまったく派手さはありません。
極端なテンポを要求するわけでもなく。オーケストラをガンガン鳴らすわけでもなく。
言ってみれば、ゲルギエフなんかと対極にいる指揮者と言えるでしょう。
私自身、訃報に触れるまではそれほど注目して聞いていた指揮者ではありませんでした。シュターツカペレ・ドレスデンとのブラームス全集は好きでしたし、シベリウスやチャイコフスキーの録音も持っていました。ですが、あえてザンデルリンクに着目して聞こうとまではしていませんでした。
ですが、先日訃報を受け、勝手に追悼企画でチャイコフスキーの4,5,6を虚心坦懐に聞いてみたところ、これがとんでもなく良い演奏であることに気付かされたのでした。
とにかく地味なチャイコです。普通、チャイコの名演と言えば、ムラヴィンスキー×レニングラードとか、カラヤン×ベルリンフィルとか、アバド×シカゴ響とか、その類の録音が挙がるのかなと思いますが、要するにどれもやかましいオケです(笑)もちろんいずれも弱奏部の表現力も豊かなオケですけどね。
それに引き換え、ベルリン響は技術的にこれらのオケより半歩劣ることは間違いありません。(レニングラードは「当時の」が付きますが)
おそらく、ごく一般的な「聴き専」のクラシックファンにはまったく注目されない録音といえるでしょう。
でも、本当にフレーズ感が豊かなんです!ちょっとした音の処理とか、アウフタクトの持っていき方の統一感と言ったら!楽器間の受け継ぎも素晴らしく自然です。
全体の音量は落としめではありますが、最強奏でも金管だけの音楽にならず、その時の主声部をきっちりと歌わせるその音楽づくりは、まさに「音楽的」なアプローチ。爆演路線に走りがちなチャイコフスキーの交響曲を、ドイツ・ロマンの延長線上にある絶対音楽として真摯に聴かせる名演だと僕は思っています。
余談ではありますが、チャイコフスキーが西洋音楽史上有数のメロディ・メーカーであることは恐らく異論のないところだと思います。
しかし実は、本人はそういう評価に対してコンプレックスを抱いていたようなのです。
「この交響曲には不誠実な虚飾がある」とは5番を初演した際に自身がもらした言葉だそうですが、要するに、彼は自分の作品が形式や構築性の面で完成度の低い作品であると常に思っていたようです。
ブラームスをして「私なら、彼のごみ箱から何曲の交響曲が書けることか!」と評したドヴォルザークが、ブラームスの音楽に憧れて7番交響曲を書いたように、稀代のメロディ・メーカーは逆に構築的な音楽に憧れているというのは面白いことです。(ブラームスも実は優れたメロディ・メーカーだと思うんですけど…それはまた別の話)
上記の逸話からもわかるように、チャイコフスキーの交響曲は、革新的な試みや美しい旋律のスキマを「交響曲らしい交響曲を書きたい」という思いがみっちり満たしている作品なんです。
ザンデルリンクの演奏はそんなチャイコフスキーの思いを、ロシア訛りをうまく緩和した上で伝えてくれる、素晴らしいアプローチだなぁと思います。
他にも、シベリウスは4、7番が秀逸な演奏。無機質になりやすい4番も、中途半端な感動路線になりやすい7番も、「音楽的」なアプローチで見事にまとめています。
逆にうまくいっていないのが5番。弦楽器の粒が揃いきっていないのと、録音の柔らかさがアダとなり、シベリウス特有の細かいトレモロが不鮮明で、音楽の輪郭が見えないという結果に終わっています。
ブラームスは、敢えて評を書くこともないでしょう。
そもそも、ザンデルリンクという名前が挙がった時に一番最初に思い出すのはブラームスの録音である、という人が大多数だと思います。重厚すぎる、という人もいますが、チェリビダッケのようなこれでもかという大見得切った演奏では全くありません。
美しく流れる自然な音楽にいつもほっこりさせられます。
自分自身がここ2年ほど指揮の真似事をしているので、最近はCDを聴くときに、ついつい「どう振ったらこういう音楽になるか」を考えてしまいますが、その度に(当たり前ですが)高い壁を感じます。
自分自身がやっていることがいかに幼稚でいかに場当たりであるかということを痛感させられる、というか…。
長大な交響曲のひとつひとつのフレーズについてどう演奏するか、それを決めていくのは本当に大変なことで、それをオケに徹底させるのはもっと大変なんですが、ザンデルリンクはそれを本当に高いレベルでやってのけています。
オケを鳴らしたり、派手なテンポ設定をすることも、破綻なくまとめるのは大変なバランス感覚や掌握力がいると思いますが、なによりも少ないリハーサルの中で「音楽」をそろえることは本当に大変なことだと思います。
いやー、プレーヤーとしても、棒振り見習いとしても、こんな演奏が出来たらいいなあと切に思う次第でございました。