Concert Etude op.2

制服系ちゅーば吹きbeardのブログ

ベルリンフィルというオーケストラ

自宅が、老朽化のため改装中です。これはチャンスとばかりに部屋の大規模な片づけをして、昨日も思い出の品々をばっさりデストロイしました。beardです。

さて、ひっさびさにまともな音楽ネタでも。

佐渡裕ベルリンフィルを振ったというニュースで、テレビでもいくつか特集番組をやっていたようですね。僕は見れてませんが…。
つい5、6年前に当時僕が通っていた某西宮の弱小高校に阪神大震災復興10年の企画で指導に来てくれたのがウソのようです。さらにビッグになった今もあの気取らないキャラなのが素敵です。

んで、番組を見て、mixi等で何人か「ベルリンフィルすごい」というような内容のつぶやきをしていましたが、僕としては、佐渡さまとは全然関係ないネタとしてタイムリーなハナシでした。

と言うのも、先月くらいから、僕の中で空前のベルリンフィルブームが来ているのです!!
ちなみに、主にラトル就任前の、ですけどね(笑)

きっかけは、5月頭くらいに、iPodに一枚のCDを取り込んだことでした。
ソニークラシカル、アバド指揮ベルリンフィルベートーヴェン交響曲第9番のCD。96年にザルツブルグイースター音楽祭で演奏した際のスタジオ録音で、来日に先立って国内盤が先行発売という、いわば話題性で売ってしまおうというレーベルの思惑ミエミエの、10年たったらあまり顧みられないタイプのCDです。
たぶん、僕と同世代でこのCDを持っている人は少数だと思います。僕も、中学時代、クラシックを聴き始めたばっかりの頃、「世間で有名な『だいく』とやらを聞いてみるか」と思って近所のCD屋で適当に買ったCDでした。クラシック初心者にとって、この作品は4楽章以外はやや晦渋で、そしてちょっと長く、そんなに何度も聞かなかったと思います。
その後、クライバー指揮ウィーンフィルの5、7番に出会い、ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの全集を買い、ケーゲル指揮ドレスデンフィルの(中略)して、まあなんせ埋もれてて忘れてたCDだったんです。

んで、iPodに片っ端からCDを入れている中で、このCDに行き当たり、そういえばこんなCD持ってたなー、とかけてみたわけです。
奇しくも、大学4年のときこの曲の合唱に参加した私は、スコアが多少なりと頭に入っています。その演奏でウソがあるかどうかくらいはすぐわかるくらいには、曲を覚えています。
だからこそ、この演奏のすごさがすぐにわかりました。

あまりにも、上手すぎる!!!!

音楽としては、カラヤン時代の迫ってくるような「押し」の音楽とは対照的で、むしろリラックスした、「うた」の演奏。やっぱりアバドって、イタリア人なんですよね。シカゴとか振ってるときはトンガったイメージがありますが…ここではその片鱗も見せず、「流麗な」という言葉が似合うような演奏です。ソニーの、残響を多く含む録音のせいもあるかもしれません。良くも悪くも角が丸く聞こえ、ベートーヴェンとしてはちょっと物足りなくも感じます。だから、たぶん普通のクラシックファンにはあまりピンとこない演奏かもしれません。あ、でも歌手陣も豪華で、ちょっとブリン・ターフェルバリトンソロはアクが強めですが、僕は大好きです。

ですが、紛いなりにも専門的に音楽をやってきた人間としては、なによりもオーケストラの上手さに耳を奪われます。わかりやすいところで言えば、4楽章、頭のほうでチェロとベースのユニゾンで奏でられるレチタティーヴォや、同じくチェロベで歓喜の主題が初めて完全な形で演奏されるあそこ。
なんて音程がはっきりしているんでしょう!それでいて極めてなめらかなフレージングで、音量バランスも完璧。そして、やわらかく美しい音色…。すごすぎる。
また、行進曲のあと、弦楽器を中心としたフーガになった箇所!各パートがこれ以上ないくらいに独立して聞こえているのに、縦の線は僅かな乱れもない。そして、通常細かいフレーズのときに痩せてしまいやすい響きのなんと分厚いこと!

そういうオーケストラの技量の素晴らしさに感動しているうちに、あっという間に66分が過ぎ(笑)最後まで聴き通してしまいました。
それからはやひと月、このCD3回くらい聴きました。いやぁ、9番ってほんと傑作ですよね。そして、僕はすっかりベルリンフィルのとりこになってしまったのでした。

先日もタワレコで、ぎょうさんCD買いましたが、カラヤン×ベルリンのチャイコボックスとか、マゼール×ベルリンのブル7、8とか、バーンスタイン×ベルリンのマラ9(割れ物で持ってましたがちゃんと買いました(笑))とか、アバド×ベルリンの3番と夜の歌を含むマーラー色んな人全集とか、とにかくベルリンばっかりのチョイスでした。
(ちなみに、僕がマーラー色んな人全集と呼んでいるのは、マーラー・ピープルズ・エディションという名の、デッカとグラモフォンで評価の高い演奏ばかりを集めたユニークな全集で、例えばクーベリック×バイエルンの巨人、メータ×ウィーンフィルの復活というような感じでそれぞれコンビが違います。)
まだ全部聞けてませんが、とにかくオーケストラの「上手さ」に酔いしれるべく、端から聞いていきたいと思います。

閑話休題

僕は、中高生のころ、ろくに聴いたこともないくせに「自称アンチ・カラヤン」でした。理由はいくつかありますが、カラヤン指揮ベルリンフィルというのはめちゃくちゃ有名なコンビのわりに、ネットで調べる「この曲ならこのCDを聴け」的なレビューには、あまりこのコンビの名前を目にしなかったことが一番の理由です。勝手に、平均的にクオリティの高い演奏はしたが突き抜けた演奏はないんだろう、とか勘違いしていたのでした。
いやはや、お恥ずかしい。もちろんそれは様々な録音を聞くうちにとんだ間違いであることを痛感するのですが、そこで感じたのが、今のベルリンフィルとのギャップでした。
カラヤン時代のベルリンフィルは、もちろん曲や年代にもよりますが、張り裂けんばかりのエネルギーと、抒情性、それと曲に対する深い理解が特長であったと僕は感じています。もちろん、今のベルリンだってえげつないパワーを内包しているのですが、鋼鉄の軍隊はいつしか(良くも悪くも)オーダースーツを着たエリート・サラリーマンになってしまったような、そんな印象があります。楽譜を再現するクオリティという意味で言えば、はっきり言って今のほうが巧いでしょう。
よく、「カラヤンは完璧な演奏を云々」という評を目にしますが、僕にとって、カラヤン×ベルリンは完璧さを求めて聞く演奏ではまっったくありません。
むしろ、精密さより、音楽のもつ色やエネルギーをこれでもかとばかりに濃厚に表現することにベクトルが向いていると感じます。
だってかなり縱のあっていない演奏もあるじゃないですか(笑)
当時のベルリンフィル最大の特徴、「セクション単位でずれていく」という、アンサンブルがすごいのかどうなのかという演奏をたまに耳にしますし、歌いまくるソロと、正確にテンポを刻む伴奏が分解スレスレまで離れているものだってあったりします。

それに対して、カラヤン亡き後、アバドが音楽監督に就任すると、まず何が変わったか。僕は、まず拍節感だと思いますが、それも含めて、「スタイルの喪失とインターナショナルスタンダードの確立」と言えそうです。

スタイル、とカタカナで書くと、ちょっと誤解されそうですね。様式、と漢字で書いたほうがよさそうです。カラヤンのころのベルリンフィルは、スーパーワールドオーケストラであると同時に、間違いなくドイツ語圏のオーケストラでした。ですが、アバド時代を経てメンバーも入れ替わり、ラトルが継いだ頃、ベルリンフィルは、パユ様が笛を吹き、バボラックがホルンを吹く、凄く上手いけどなんだかよくわからないオーケストラに変わっていました。ま、バボラックは今は辞めちゃいましたが…。ラッパ吹きの2大スター、ヴァレンツァイとタルケヴィは2人ともハンガリー人。まだドイツらしいのはトロンボーン、チューバくらいでしょうか。(それにしても、金管のメンバーは、カラヤン時代と比べるべくもないくらいハイレベルになりました。ザイフェルトくらいでしょうか、今のメンバーのレベルで演奏していたのは。でも、ちょっとしたアタックや、バランスで「おや?」と思うことも増えました。)

僕は本当に一番ベルリンフィルが「優れたオーケストラ」だったのはカラヤン死後、アバド就任しばらくの、91~00年くらいだと思います。あくまで僕の勝手な好みですが。

アバドがよかった、というより、ガッチガチのカラヤン流から解き放たれた時代、リラックスして己の能力を発揮できた時代だったんでしょう。でもその結果、もしくは、単なる時代の流れなのかもしれませんが、ベルリンフィルは、ドイツ語圏のオーケストラであることを辞めてしまったように思えてなりません。

だから、ラトル就任後、積極的にリリースしているディスクも、買ったのはたった一枚、ホルストの惑星だけ。それも、金星と、天王星しか聴きません。いや、めちゃくちゃ巧いですよ。火星の最後の連符なんか、ロスフィルは土下座しないといけないぐらいちゃんと弾けてます。でも僕はメータ×ロスフィルを聴きます。だって、面白くないんだもん。金星は音色の美しさ、天王星はオケの機能性が存分に発揮されていて、いいな、と思いますが…。

逆に、ジルヴェスターコンサートなんかは録画を結構何回も見ました。ボロディンの2番とか、だったん人はああいう「とりあえずこれ聴いとけば無難」という演奏に恵まれていないと思うので、貴重では?次の年もキューバ序曲は好演でしたね。

ああやって、さくっと演奏されると、上手さが引き立つのですが…。

 

立ち返って、カラヤンの時代の録音群を考えるにつけ、良くも悪くも「濃い」演奏ばかりです。ちょっとしんどいくらい(笑)今でもカラヤンの録音は手放しで好きと言い切れないですが、ツァラトゥストラとか、マラ6とか、僕の中でベストだと思っている録音も多々あります。

対して、はるかに「巧い」今、ラトルは誰かにとってベストになりうる録音を残しているのかなぁ。楽器をやっている人間として、ベルリンフィルという最高のオーケストラが、イマイチ面白みのない演奏をしているのが悲しいんですよね。

その点で、アバド時代は、ちょうどその過渡期にあたる、巧さと音楽的濃さのバランスのとれた録音がチラホラあるよ、っていう話でした。アバド時代も決して全面肯定はしませんが、僕にとってはラトルより大分ましかなぁ。どうせなら、ユダヤ系ロシア人でドイツ生まれ、フランスで教育を受け活動のほとんどをイギリスでやっているプレヴィンとかにベルリンフィルを任せて欲しかった。彼なら、恐らく最高の技術を持つオケを用いて最高に中庸で極めて良質な音楽を作ってくれたと思うんですけど。僕の、ポスト・カラヤンベルリンフィルに求める「とにかくめちゃくちゃ『上手い』演奏」という需要に応えてくれただろうなぁ。

 

ま、でもラトルもバーミンガム市響時代はちょいちょい面白い演奏してたし、諦めないで何枚か買って聴いてみます。もしかしたら意外なところでいい演奏が転がっているかもしれないし。

それに、どんなに面白くなくても、間違いなく巧いしね(笑)

※巧いと上手いはかなり意識的に使い分けていますので気にしてみて下さい。

 

2017.2.18追記

 

いやはや、これ書いたの何年前だったかしら。たぶん5年前くらいだったと思いますが、今となってはまったく違う耳になってしまった。

むろん今でもアバド時代好きですよ。でも、いまはラトル信奉者になっています(笑)

自主レーベルのブルーレイ付きCDはだいたい買っています。EMI時代のブラームスとかもあるし、むしろバーミンガム市響時代の「リーヴィング・ホーム」まで買ってしまいました。

なんていうのでしょう、演奏家に対する信頼?ラトル就任後のスタイルがインターナショナルなものであり、ベルリンフィルはドイツのオーケストラでなくなった、という感想は今も持っていますが、それ以上に、演奏家それぞれの表現、アンサンブルの集合体がオーケストラなのだ、ということを心の底から感じ取ることができるのです。

次なるシェフ、ペトレンコも素晴らしい指揮者だと思うので、これからの活動もベルリンフィルファンとして楽しみにしております。そしていつかはベルリンまで訪れ、本拠地で実演を聞いてみたいなあ。