【曲目解説】ジェラルド・フィンジ:クラリネット協奏曲【夫婦共作】
先日、大阪府内某所にてアマチュアオーケストラの演奏会があり、そこに参加していた妻がプログラムノートを書くことになりました。
ニューグローヴを調べたりと色々頑張っていた妻ですが、結局わたくしも手伝う羽目に(笑)。
夫婦で夜中までかかって曲目解説を書いたので、せっかくですからネットにさらしてみます。以下曲目解説。
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ジェラルド・フィンジ:クラリネットと弦楽のための協奏曲 Op.31
「クラリネット協奏曲といえば?」という質問には、モーツァルトかウェーバーのそれを連想する人がほとんどではないだろうか。「フィンジ!」と答える人がいたとすれば、おそらくクラリネット吹きかイギリス系クラシック音楽マニアのどちらかだろう。
ひと昔前の音楽辞典にはフィンジという項目がなかったほどのマイナー作曲家。しかし、フィンジの音楽には霧がかかったような孤独な響きの中に、一筋の光のような美しさがあり、一度聴いたら癖になる魅力がある。CD録音も演奏機会もあまりないため、本日の演奏会に来てくださったお客様は大変ラッキーである。
- フィンジの人生
ジェラルド・ラファエル・フィンジは1901年、ロンドンにてイタリア系ユダヤ人の家庭に生まれる。まだ幼いころに父や兄弟を亡くし、さらに初めて音楽教育を受けた作曲家のアーネスト・ファーラーも第一次世界大戦で戦死してしまう。若いころに大事な家族や恩師を亡くしたことは、彼の人生観や作風に影響を与えている。
ファーラーの死後は、オルガニスト兼合唱指揮者のエドワード・ベアストウに師事し、1922年にグロースターシャー(ヴォーン=ウィリアムズの故郷)に移住してから本格的に作曲活動を始めた。この頃は個性的な作品が生まれており、「セヴァーン狂詩曲」ではカーネギー賞を受賞した。
1925年、ロンドンに移住後は、G.ホルスト、A.ブリスなどのイギリスを代表する若手作曲家との出会いがあった。ヴォーン=ウィリアムズとは特に親しく、ロイヤル音楽アカデミーでの作曲の講師の仕事を斡旋してもらった。
1933年に画家のジョイス・ブラックと結婚したのを機にロンドンを離れ、作曲活動とリンゴの栽培をしながら生活をしていた。彼の代表作である「ディエス・ナタリス」やトマス・ハーディの詩による一連の歌曲集はこの時期に生まれている。第二次世界大戦の勃発により初演が遅れてさえいなければ、彼の名声はもっと高まっていたかもしれない。
1939年にはハンプシャー州のアッシュマンズワースに移住した。リンゴ栽培に精を出す傍ら、ニューベリー・ストリング・プレイヤーズというアマチュア合奏団を作り、若手演奏家・作曲家たちの発表の場の提供にも寄与した。この頃から創作活動がさらに充実し、多くの合唱曲やクラリネット協奏曲などが作曲された。
そんな中、1951年にフィンジは白血病にかかり、余命10年と宣告されてしまう。余命宣告後に作曲されたチェロ協奏曲は、その悲痛な感情と妻への愛情が込められた大曲である。死の直前にはヴォーン=ウィリアムズと人生最後の旅に出ており、そこで聞いた教会の鐘の音は「平和の地 In terra pax」という作品の中で使われている。1956年、白血病に伴い抵抗力が弱まったことが原因で感染症にかかり、死に至った。
余談ではあるが、フィンジの息子の妻はチェリストのジャクリーヌ・デュプレの姉であるため、フィンジとデュプレは親戚関係と言える。
- フィンジとリンゴ
前述の通り、フィンジは結婚後に田舎暮らしを始め、リンゴの栽培を始めた。イギリスはリンゴの名産地であり、日本人の約2.5倍も年間にリンゴを食しているというデータまである。イギリスのリンゴの特徴は、日本のリンゴより一回り小さく、品種が豊富なことである。フィンジは、希少な品種のリンゴを栽培することを趣味としており、彼が育て上げたリンゴはなんと400種にも及んだ。育てたリンゴのサンプルは、園芸協会(現National Fruit Collections)に送りつけられていたようだ。Baxter's PearmainsやHaggerstone Pippinsというリンゴの品種はフィンジの果樹園が起源とされている。フィンジがリンゴ栽培をしていなければ、それらは今では食べることができない品種であったかもしれない。
- フィンジのクラリネット協奏曲
第一楽章 Allgero vigoroso
半音の悲劇的な衝突が印象的な序奏に続き、クラリネットがハ短調の物憂げな旋律を奏で始める。楽章を通しておおむね短調ではあるが、短調の性格を決める重要な音が省かれたり変化させられたりしており、それ故に悲しみは常に内向的である。主部は二つの主題を行ったりきたりするABABAという構造を持ち、曲が進むたびにその調を変えていく。やがてハ短調の属和音にたどり着き、短いカデンツァとコーダを経て幕を閉じる。
第二楽章 Adagio ma senza rigore
三部形式による緩徐楽章。序奏に続く第一の部分は、弦楽の旋法的な響きの中でクラリネットが即興的なフレーズと息の長い歌を奏でる。第二の部分は第一楽章のモチーフが三拍子の中で劇的に展開される。興奮のクライマックスで第一の部分が再現されるが、やがて静まっていき、平和な響きの中に溶け込んでいく。
第三楽章 Rondo - Allgero giocoso
弦楽器による序奏は嬰ハ短調に始まる不安定な響きだが、すぐに開放的なメロディがクラリネットによって奏でられる。これまで曲を覆っていた雲が晴れたようなハ長調の主題は、大変印象深いものである。ロンド形式のセオリー通りに、この開放的な主題の間に挟まれて性格の異なる部分が三つ顔を出す。第三の部分では第一楽章を回想するが、長くは続かず再び明るい響きに帰っていく。
クライマックスでは、息の長い超絶技巧が素早く去っていくので、お聞き逃しなく。
1949年、クラリネット奏者のフレデリック・サーストンにより初演された。彼は王立音楽大学で教鞭を執っていたが、生涯最後の年に生徒のシア・キングと結婚する。彼女は、この協奏曲の代表的な録音を残している。
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こういう解説を書くときは、どうやって極力専門用語を使わないようにするかが悩ましいものです。今回も、一楽章の「短調の性格を決める重要な音が省かれたり変化させられたりしており」は本当は「主和音が第3音を欠いたり、導音にあたる音が半音下げられ属和音の性格を弱められている」と書きたかったところです。
二楽章のところでも、「弦楽の旋法的な響きの中で」などお茶を濁していますが、この楽章においては「短調に近い響きの箇所はフリジアン・ドミナント(ハーモニック・マイナー・パーフェクト・5th・ビロウ)を、長調に近い響きの箇所はミクソリディアを指向するメロディを調性からあまり逸脱しない範囲の中で和声付けしている」というようなことを書きたかったのですが、長くなるうえに一般のお客様にはさっぱりわからんと思ったのでばっさりカットしました。
しかし、こういう信頼のおける資料の少ない作品の曲目解説を書くのは大変ですが、勉強になって楽しいですな。ちゃんと楽譜読まなきゃ!ってなるし。
機会があればまた挑戦しよう。
(マイナー作曲家の解説だと、たまに辞典でもトンでもない誤訳が載っていたりするので比較検証しなきゃならないんですけどね。今回も、某音楽大辞典(ニューグローヴではないですよ)に「セヴァーン狂詩曲」が「七つの狂詩曲」として訳されて載っていて、びっくりでした。それじゃあ「Severn Rhapsody」じゃなくて「Seven Rhapsodies」でしょうよ(笑)
イギリス音楽の研究しているのにセヴァーン川も知らなかったのでしょうか?)
以下参考音源など。
- アーティスト: Gerald Finzi,Howard Griffiths,Northern Sinfonia
- 出版社/メーカー: Naxos
- 発売日: 1999/01/19
- メディア: CD
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一番手に入りやすい録音はこちら。演奏もよいです。同じくクラリネットソロのバガテルの弦楽伴奏版や、若いころの出世作セヴァーン狂詩曲などが聞けます。
先日亡くなった名匠ネヴィル・マリナーの棒とその息子アンドリューのソロで聞ける一枚。弦楽の統率はさすが。違う演奏家ですが、日本におけるフィンジ受容に一役買ったピアノと弦楽のためのエクローグも収録されています。
Clarinet Concerto Op 80 / Clarinet Concerto Op 31
- アーティスト: Philharmonia Orchestra,Charles Villiers Stanford,Gerald Finzi,Alun Francis
- 出版社/メーカー: Hyperion UK
- 発売日: 2001/07/10
- メディア: CD
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上述のシア・キング女史の演奏で聞ける。少々野暮ったくも聞こえますが、曲に対する共感を感じる演奏。カップリングはフィンジにとって師匠の師匠にあたるスタンフォードの協奏曲。こちらはかなりレアな録音です。